雑司が谷トピックス

アーカイブ

公開日:2017年03月23日

鬼子母神堂

※正しくは、鬼子母神堂の「鬼」の字は、1画目の角(ツノ)のつかない鬼の字を用います(以下共通)。
創建は天正6年(1578)と伝えられています。清土(文京区目白台)から出土した鬼子母神像を祀るため、里人たちが叢林を拓いて堂を建てたのが始まりと言われています。現在の本殿は寛文4年(1664)に、前田利常の息女で広島藩主浅野家に嫁した自昌院殿の寄進により建立されたもので、区内最古の建造物です。そもそも鬼子母神とはインドの邪神でしたが、釈迦の諌めによって改心し安産・子育ての神となりました。
鬼子母神堂は鬼子母神像を祀る堂で、江戸時代を通じて安産などの信仰により庶民の崇敬を集め、現在でも多くの参詣者を集めています。平成28年5月には、豊島区で「自由学園明日館(平成9年指定)」に次いで2件目の国の重要文化財に指定されました。また、鬼子母神堂内の鳥山石燕画「大森彦七図」、二代目鳥居清満画「三人静白拍子図」の絵画は、東京都文化財に指定されています。
日蓮聖人を供養する「お会式」は、今も毎年10月16日~18日に行われ、枝垂れ桜を模した万灯が夜の街を練り歩きます。境内では、盆踊り、手創り市など様々な催し物も開催され、地域のコミュニティの拠点としても親しまれています。

バックナンバー
SHAREFacebook twitter LINE