雑司が谷の歴史を知りたかったり、観光のための情報がほしかったりしたら、まずはここがおすすめです。鬼子母神の参道のケヤキ並木沿い、古くから佇む並木ハウスアネックスをリノベーションした一室にあり、雰囲気も素敵です。2階は展示ギャラリーになっていて、雑司が谷に関連したアート作品が展示されています。(MAP青1)
鬼子母神の隣りにある公園。周辺とも馴染むデザインで、子どもも大人もゆっくりできる空間です。トイレ休憩にもおすすめ。(MAP青2)
雑司が谷地域の方々の生涯学習の活動拠点であり、活動を通して交流を深め、地域コミュニティの形成を図っています。さまざまな活動をするグループに会議室、さらには、音楽室、美術室、工作室(陶芸釜あり)、舞台稽古のための練習室の貸し出しもしています。事務所隣には、雑司が谷図書貸し出しコーナーもあります。案内処の運営母体でもあります。(MAP青3)
区民ひろばは、赤ちゃんからお年寄りまでどなたでも利用できる施設です。地域コミュニティの拠点として、地域の皆さんで組織している運営協議会が設置され、雑司が谷・南池袋の特性を活かしながら、様々な事業を企画・実施し地域の活性化を目的に活動しています。また、日曜開館を実施しており、月曜日から日曜日までいつでもご利用できます。(午前9時から午後5時 休館日:祝日、年末年始) (MAP青4)
日本女子大学には、建築家佐藤功一が設計した建物が3棟ありました。そのうちの一棟である明桂寮(1927年~)が、雑司が谷1丁目にある寮地区の中に残されています。休寮中ですが、関東大震災後に数多く建てられた始めた鉄筋コンクリート造建築の一つ。とても丁寧に細部までデザインを施した、ヒューマンスケールなつくりの建物です。生ゴミからメタンガスを発生させて調理をする最新の設備も導入されました。詩聖タゴールも訪れた、歴史ある建物です。
雑司ケ谷霊園の中に「いちょう通り」と呼ばれるイチョウ並木の通りがあります。
このイチョウ並木は地元の人からも昔から親しまれていて、約50年ほど前から現在までこの辺りでラジオ体操が行われている場所でもあるのです。
かつてはこの辺り一帯を使って野球をして遊んでいた時期もあったそう。イチョウの木がまだ大きく育つ前、その木をベースに見立てる、といったように色々工夫しながらの遊びだったそうです。木々一つをとってみても、地域の人々から雑司ケ谷霊園が生活空間の一部として愛されている場所であることがよく分かるエピソードですね。
「いちょう通り」の近くには有名な夏目漱石のお墓もあります。豊かな自然も味わいながら、ぜひ霊園まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。(MAP赤26)H.Y
目白駅を出て左手にある「銀鈴の塔」は、豊島区と目白地域協議会の方々が協力して、タイルの色から一つ一つデザインされました。
目白・雑司ヶ谷地域は、文芸雑誌「赤い鳥」を主宰した鈴木三重吉や、菊池寛らのゆかりの地でもあることから、この「銀鈴の塔」からは1日に5回、「赤い鳥運動」を象徴する童謡「赤い鳥小鳥」が流れます。このメロディは、童謡「赤い鳥小鳥」の作曲者成田為三が東京音楽大学の講師をしていたということから、銀鈴の塔のメロディも東京音楽大学の先生方が行ったそうです。
「赤い鳥小鳥」の美しいメロディを聞きながら、この地で活躍した人々に思いを馳せ、まちを歩いてみるのはいかがでしょうか。
(MAP赤25)N.H
目白庭園は、都市の中で失われつつある自然や伝統に触れる場として開設された日本庭園です。庭園内にあるのは、赤鳥庵という数寄屋建築の建物です。数寄屋とは、もともと茶室のことを指すものでしたが、それが建物にも波及して生まれた様式です。屋根は破風や瓦に派手な装飾はなく、非常にシンプルなデザインとなっています。また、庭園には多様な草花が植えられており、四季によって異なる顔を見せます。現在は緑が少ないですが、樹木を雪から守るために設置されている雪吊りが冬らしさを演出しています。
赤鳥庵の洗練された意匠と、静かな池の水面に反射している雪吊りが日本庭園らしい素朴な美しさを演出しており、都心であることを忘れるような憩いの場となっています。(MAP赤24)A.K A.I
※2月13日(火)〜3月31日(土)まで、池総点検に伴い、庭園は休園となります。
清立院は、雑司が谷七福神の毘沙門天として有名な日蓮宗の寺院です。
これからの季節は、写真の左側のように美しい紅葉を見ることができます。
清立院の前には、今は暗渠となった弦巻川が流れていたため、急な階段を登った先に入り口があります。かつて川があったことを想像すると、更に趣が増しますね。このアプローチ部分は、夜になると写真の右側のように連なった提灯に照らされます。夜に暗渠沿いを歩いていると、上昇する提灯の灯りが暗闇の中からぼんやりと現れ、視線と動線が導かれます。
MAP赤23 H.Y
2023年7月、雑司が谷未来遺産協議会メンバー、関連団体、日本女子大学の学生で雑司ヶ谷霊園周辺地域の路面上に全7箇所、シール形式の案内サインを設置しました。
閑静な住宅地である雑司ヶ谷は、細く曲がりくねった道が特徴で、初めて訪れる方は迷いやすい傾向にあります。そして、その道の狭さゆえに、必要とされる案内板の設置はできませんでした。そこで、区と雑司が谷未来遺産協議会が共同し、目白警察署とも連携することで、今回の案内サイン設置に漕ぎつくことができました。デザインは区の定めたルールに従って協議会のメンバーで考えました。是非、雑司ヶ谷を歩くときには足元に目を向けてみてください。
可愛らしい絵柄が目を惹くこの倉庫は、雑司が谷公園の中にあります。雑司が谷公園の倉庫、ということで「ぞうこうそうこ」と呼ばれています。倉庫の中には、イベントで使用する机・椅子・テント・人工芝等々。ほかにも三輪車・コマ・けん玉・ボッチャなど、楽しい遊び道具も入っています。
ぞうしがやプレーパークに参加した子供たちと画家さんの手によって沢山の絵が描かれています。
雑司が谷公園に訪れた際は、ぜひ探してみてください。(MAP赤9) M.O.
傾斜地を上手く活かした千登世橋教育文化センター(設計:菊竹清訓建築設計事務所)。地下1F・地上1F・2Fはそれぞれ雑司ヶ谷駅、明治通り、鬼子母神堂へと通じている。1階の空中廊下からは、鳩の彫刻(作品名:道標・鳩、作:柳原義達)のある中庭越しに、明治通りの人や車の往来を俯瞰でき、ひとりの空間を楽しめる、粋な設計である。
深井戸は雑司が谷公園の防災設備の一つです。
深さは約20mあり、災害時に生活用水として利用できるよう整えられました。
日常的に井戸を押すこともでき、公園利用者が井戸に触れる機会にもなっています。
近年、フェーズフリー(防災は日常の延長にある、という考え)な防災対策が進められている中、この深井戸は大きな役割を果たしているといえるでしょう。
訪れた際にはぜひ体験してみてください。(MAP赤9)
M.T
今回、としま案内人の方々に案内していただきながら法明寺前から護国寺方面へと向かい、雑司ヶ谷の「暗渠」である、消えた「弦巻川」を歩いて辿ってみました。
歩いていると、川の流れに沿って蛇行している道や、川の流れによって削られた谷など、弦巻川の名残を感じる場所が多くありました。かつての弦巻川沿いに建つマンションの外壁には、弦巻川の存在が記載されていました(map赤22)。マンホールに耳をすませば、地下を流れる弦巻川のせせらぎが聞こえてくるかもしれません。
3年ぶりに鬼子母神堂の御会式大祭が行われました。お神輿ではなく、万灯が街を練り歩く様子はとても幻想的です。御会式に参加する講社は約20組ほど。力強い太鼓の音と万灯を上下に振りながら舞うまといが会場を盛り上げます。
太鼓とまといの練習は10月から始まり、鬼子母神堂の本殿で練習をします。今年からお堂の前の広場を利用し、練習した太鼓とまといを披露するようになったそう。
お堂前は大木に囲まれ、普段は道である場所が観衆の賑わいと屋台の灯りで小さなステージに変化し、練り歩き最後の”魅せ場”として最高の盛り上がりとなっていました。
今年の御会式は終わってしまいましたが、来年是非行ってみてはいかがでしょうか。(マップ赤21)MS
みなさま、緑のこみちの会の活動をご存知でしょうか。
こみちの会の方々は、雑司ヶ谷霊園の生垣の管理保護や周辺の清掃、花の植え付けを中心に、まちの緑を守るために日々活動されています。
小学校との共同プロジェクトなども行われているそうです。
こちらの写真のベンチは、緑のこみちの会が管理している花壇のそばにあります。
最近は暖かい日も多く続き、春が訪れつつあります。花壇も賑やかになる季節ですね。
散歩で近くを通った際にはベンチに座り、陽気と彩り豊かな花々を楽しんでみてはいかがでしょうか。
新栄堂書店は、夏目漱石・永井荷風など、数々の文豪が眠る雑司ヶ谷霊園のほど近くにある本屋です。
レンガの外装と木を基調とした内装が懐かしさを感じさせます。1階の書店には、トレンドを押さえた本、雑誌から、トキワ荘、都電荒川線など豊島区に関わる様々な本まで様々あります。
地下にはリーディングサロンがあり、コワーキングスペースとしても使用できます。パーテーションで仕切られた席や大きな机のある席もあるので、思い思いに休憩や読書をすることができます。(フリードリンク・フリーWi-Fiも備えられています。)
夏目漱石の「こころ」でも描かれた雑司ヶ谷。文豪に愛されたこのまちの本屋で、お気に入りの本を手に取り、ゆっくりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
この区間は現在環状5の1号線の整備に当たり白いパネルで覆われていますが、雑司ヶ谷停留所の踏切を横切ると路面電車の軌道がよく見通せます。環状5の1号線は現在荒川線の真下に地下道路として建設中であり、軌道は工事のために一部ずらされて蛇行している様子が見て取れます。この軌道は工事完了までの一時的なもので、環状5の1号線の完成と共に真っ直ぐに戻る予定です。
一般に路面電車は鉄道よりもカーブの半径が小さく、また急勾配にも強いと言われています。都電雑司ヶ谷〜鬼子母神前までの区間には、路面電車の特性がよく現れていますね。TI
千登世橋は、昭和7年に架設された日本初の立体交差橋です。橋の上に目白通り、橋の下に明治通りが通り、その土木的価値から「東京の著名橋」に指定されています。
橋の上からの風景の美しさはさることながら、橋の下から見る構造の造形美、アーチの曲線美も必見です。
訪れるのにおすすめなのは、イチョウの彩る季節、夕日の差し込む時間帯。橋に差し込む夕日、黄金色に輝くイチョウとその横を走る電車・・・きっとこの風景にとりこになるはずです。NH
都電雑司ヶ谷停留場より5分ほど路地を歩くとこちらの井戸に出会います。これはもともと使用されていた井戸を災害時のために整備したものです。
実は、雑司が谷は“井戸のまち”といっても過言ではないほど、いたるところで井戸に出会えるまちなのです。
今ではあまりみかけない井戸ですが、ぜひ“井戸のまち”雑司が谷で井戸巡りを行ってはいかがでしょうか。NH
子ども向けのボルダリングが雑司が谷公園内丘の上テラス裏(北側)に設置されています。地域の子どもたちに大人気で、写真撮影時にも保育園児たちが駆け寄って遊んでいました。また公園に犬の散歩に来た方々もここに集まっています。公園全体が地域住民の憩いの場となっているようですね。RK
別名らくだ公園と呼ばれ、昔、雑司が谷異人館があったところにできた公園です。
可愛らしいらくだの遊具や木で出来た遊具は子ども連れの親子に親しまれており、歴史を感じる立派なケヤキの木の下で、ゆっくり過ごすことができます。
また、見渡しも良いため、公園から都電を眺めることもおすすめです。
実は東京さくらトラム(都電荒川線)を見やすくなったのは、地元の特定非営利活動法人 雑司が谷ひろばくらぶと、豊島区の担当者の方々の相談の成果なんです。
街歩きの途中などにぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。C.H
丘の上テラスは、雑司が谷公園の中にあります。地域のコミュニティと防災拠点を公園に残すために設置されました。
地域の人が気軽に立ち寄り、自由に時間を過ごすことが可能です。
ここの看板は、旧高田小学校にあったソメイヨシノで制作されました。2019年3月に開催された木挽きワークショップにて、丸太を材木にしたものです。
雑司が谷公園や丘の上テラスは新しい施設ですが、旧高田小学校のものが残されていることを感じることができました。(MAP赤9) I.M
閑静な住宅街にあり、小規模ながらも音響の良さで評判の音楽堂です。音楽を心から愛し楽しむことのできるくつろぎのサロンを目指し、身近で音楽を楽しめるよう、ステージと客席の段差をなくしているのだそうです。雑司が谷音楽堂のHPには建物の図面や寸法が記載されており、音響空間へのこだわりが伺えます。RK
雑司ヶ谷で昔からの鉄板焼きせんべいを製造・販売していて、都内で唯一原料から焼き上げるまでを手がけています。弦巻通りの細い路地を覗くと目印ののぼりが見えます。入るのを少し迷うようなこの路地は、実は私道でもあり、地元住民が大切に守る昔ながらの住宅街の雰囲気を味わえるかもしれません。工場入口を入ってすぐの販売コーナーでは焼き立ての美味しいおせんべいが食べられます。周囲の木造住宅にも馴染んだ店構えは、地元から長く愛され続けている証です。YN
(MAP赤12)
お店こだわりのパンと珈琲を楽しめるCaféです。車通りの多い明治通り沿いのビルの二階にありながら,外の喧噪からは想像できない静かな空間が迎えてくれます。内装仕上げがされていないコンクリート壁と、温もりある木の床材とのコンストラストが魅力です。また今では貴重な幅広の木壁が一部に使われていたり、アンティーク調の家具、豆電球のじんわりとした優しい光が作り出す雰囲気が、とても素敵なお店です。こだわりのパンはテイクアウトもでき、おうちでも味わうことが出来ます。居心地が良く時間が経つのをつい忘れてしまいます。C.H. (MAP赤11)
スープから副菜まで手作りの優しい味が堪能できる洋食屋さんです。鬼子母神表参道沿いにあり、お店が旗竿敷地のため、入り口までのアプローチが長くとってあり、隠れ家のような外観です。お昼になると、すぐ満席になってしまうほどの人気店で、店員さんも気さくで居心地が良い空間です。s.s
(MAP赤10)
旧高田小学校跡地の公園整備が行われ、2020年春にオープンした公園です。防災まちづくり計画、公園作りの基本的な方針から運用方法まで、「雑司が谷・南池袋まちづくりの会」を中心とする住民参加によって検討されました。かまどベンチなども設置されており、雑司が谷二丁目の新たな防災まちづくり計画においても地区の中心となる施設として位置づけられています。(RY)
(MAP赤9)
雑司が谷旧宣教師館の前の通り、旧宣教師館通りを出てすぐ、雑司が谷区民集会室付近のボラードです。ボラードとは自動車の進入を阻止するための杭のことです。これらのボラードには雑司が谷旧宣教師館の窓の形があしらわれています。(RY)
雑司が谷旧宣教師館の前の通りのことで、100メートルほどの距離ですが、名前がつけられています。赤色の煉瓦が目を引き、通りの入口2箇所と旧宣教師館の前に2箇所、洋館が描かれたカラータイルがあしらわれています。
「ニッポンの暮らし、たのしもう」を合い言葉に日本全国からユニークな和の雑貨や郷土玩具を集めている「和雑貨と古本 旅猫雑貨店」は、弦巻通り沿いにあります。お店の外にも楽しそうなものが並んでいるので、雑司が谷に来るとつい立ち寄りたくなります。時間を忘れるほど夢中になれる、そんな懐かしくて心温まる空間です。YH
(MAP赤8)
JR線の目白~池袋駅間の線路にかかる「花のはし」。橋の上から数分の間に何本も行き交う電車を眺めていると、思わず時間が経つのを忘れてしまいます。目白駅は全国初の橋上駅舎として知られていますが、「花のはし」から駅を眺めるとその特色ある構造がよりはっきりと分かります。遠くには新宿の高層ビル群まで見渡せ、電車好きや建築好きの方に特におすすめしたい場所です。「花のはし」という名前は地元の方々によってつけられ、将来線路敷内の土手に花々が咲き誇り、花の名所として地域の方々に親しまれ、また愛着を持たれることを願ったものです。「花の」には、色とりどりの草花が風に吹かれて咲き乱れている様子を言い表した「花野」という意味も込められています。MY
法明寺鬼子母神堂の東には、欅並木がある参道が延びています。並木の石畳は古くは土でしたが、時代とともに細石から水道管工事に伴いアスファルトに変わり、平成はじめに現在の石畳の姿になりました。参道沿いには竹ぼうきが立てかけられており、住民の方々の日々の清掃活動によって気持ちよく歩ける空間が保たれています。
欅並木保存会の記録によると、この石畳は5年ほど前にバリアフリー化のために石畳風アスファルトにしたいという提案が豊島区からあったようです。しかし、掃除のしやすさ、また愛着のある現在の姿が良いという住民から多くの声があげられたことで、欅並木の石畳はそのまま保存されることとなりました。重厚な石畳の参道は、雑司ヶ谷の魅力の一つである古い街並みの雰囲気を醸し出す要素となっています。AH
キアズマ珈琲は並木通りに建つ五軒長屋、並木ハウスアネックスの一階にあります。昭和初期に建てられた建物をリノベーションしたこのお店。天井などには昔からの木の構造体が見えます。ケヤキ並木の静けさを取り込んだような落ち着いた店内で美味しいブレンドやご主人手作りのケーキなどを頂けます。NN
(MAP赤7)
雑司が谷旧宣教師館は明治40年にアメリカ人宣教師マッケーレブ
マッケーレブは日本に滞在中、
地域の皆さんの運動によって保存・再生・公開された場所であり、
(MAP赤6)
『休憩しよう』!つむりきねかさんによる愛らしい壁画が目を引く休憩スペース。ポイ捨てが多かった自販機の周りを“NPO雑司が谷ひろばくらぶ”の方々が所有者の方と相談の上で清掃し’19年1月に完成。まさに地域で作った憩いの場です。地面をよく見るとフクロウの落し物、と思いきや出っ張った杭につまづかないようにするためのユニークなデザイン。雑司が谷散策の合間に、フクロウと一緒に一息つきましょう。ただし、NO SMOKING!MW
鬼子母神と大鳥神社で毎月第3日曜日に手創り市が開催されていま
す。創り手の想いが込もった手創りの工芸品や食べ物が並びます。創り手と買い手が顔を合わせながら直接意見を交わすことができ る場は少なく、遠方からも多くの方が足を運び出品しています。 今回はやきもち部が参加作家の器を自分で選びおしるこをいただけ る体験を行なっており、器に親しみ、 味わうことのできる良い機会でした。YA
雑司が谷で唯一残っている80年以上の歴史ある銭湯、地域の人々に愛され、営業前から並んでいる常連のお客さんもいらっしゃいます。
周囲に高層の建物がない場所なので、浴場の天井は高く開放的な大きな窓が印象的です。
お釜型のドライヤーや体重計など、昭和を感じるレトロな雰囲気が現在も残されています。
1951年に現在のオーナーのお祖父様が開業して、2度の工事を経て現在の姿に至ります。
その後1996年、2度目の改装時に、洗面台、長椅子やテレビ台など、木目の色合いが温かい内装になりました。MS (MAP赤4)
豊島区の雑司ヶ谷地区を案内するボランティアガイドの団体で、2011 年6月から活動されています。雑司ヶ谷の見どころの鬼子母神堂、雑司ヶ谷霊園、雑司が谷旧宣教師館の案内や、 昭和の初期まで流れていた弦巻川の跡を歩くコースなどがあります。また年3回のイベントコースも用意されています。江戸時代の図会や写真と比較しながらまちを散策することで 雑司ヶ谷の歴史と文化への理解が深まり、まち歩きがより楽しくなります! MY
雑司が谷を愛好する人々の声を受けて、並木保存の運動が地元有志の協力を得て高まり『鬼子母神大門欅並木保存会』は昭和15年に発足しました。「後世に欅並木を残したい」という思いで未来遺産として保存、愛護のために尽力されています。交渉窓口、資料収集、清掃活動等により樹齢450年にも及ぶ都指定天然記念物の木を含め、美しい並木の景観と歴史は受け継がれています。並木道の木陰は、暑い夏の日差しを遮り、5℃程気温が低いです。涼しい風が吹き、心地よい場となっています。AH
並木ハウスは欅並木参道中ほどの路地を15M入った場所に位置する木造賃貸アパートです1953年に建設され、手塚治虫が結婚し初台に新居を構えるまでの間、トキワ荘から移り住んでいたことで有名です。この建物は2009年に居ながら修復工事が実施され、内部の耐震工事は空いた部屋から行われました。周辺環境が大変静かなことから、現在はアーティストの作業場等としても利用されています。採光のための室内窓や、各部屋のドアノブやレターボックスといった金具は当時から変わらぬ姿を残しています。YW
(MAP赤3)
並木道沿いに立つ1932年築の五軒長屋。2008年に外観を残した改築が行われ、建築保全活用のモデルとしても貴重な建物です。2018年、並木ハウスと共に国の有形登録文化財に登録されました。2階部分の壁面は、高い木々と交差して美しい景観を作り上げています。現在、この建物にはキアズマ珈琲や雑司が谷案内処等の施設が入っています。昔は店舗兼住宅で、1階は印刷屋や板金屋等の職人の作業場、2階は住戸として使われていました。オーナーの砂金氏は、並木道を通る人々が気軽に立ち寄る場になることを願っています。 AH
(MAP赤2)