雑司ケ谷霊園の外周の北側に位置する「御鷹方御組屋敷道」。霊園ができる前の江戸時代、「御鷹部屋」と呼ばれる江戸幕府が管理し鷹匠が勤めていた場所でした。その役人たちが住んでいた屋敷が、霊園から約400m離れた場所にありました。役人たちが仕事のために毎日通っていた御屋敷から御鷹部屋までの通りだったのです。鷹匠たちは住まいと仕事を区別し、生活を送っていたのですね。合計で約25,000坪の土地ということは当時、鷹匠が江戸幕府にとって重要な役割であったのでしょうか。江戸時代から続く今日まで使われていた通り、霊園の周りには他にも鬼子母神道、御鷹部屋道があります。皆様も歴史を感じながら歩いてみてはいかがでしょうか。
日本女子大学薬袋研究室、ぞうしガヤガヤたんけんでは、雑司ケ谷霊園150周年の特集を行っています。是非、そちらもご確認ください!
雑司ケ谷霊園事務所、雑司が谷案内処等で配布予定です。