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公開日:2017年03月23日

雑司ヶ谷霊園

御料地として、3代将軍家光の寛永15年(1638)に薬草栽培の御薬園となり、8代将軍吉宗の享年4年(1719)には御鷹部屋に代わり、将軍の鷹狩に使う鷹の飼育場所として使われていたところです。
その後、明治5年(1872)に神葬墓地として開設され、明治7年(1874)に都営の共葬墓地となっています。面積約10haの霊園は、緑豊かな樹々や四季折々の草花を提供し、副都心池袋に隣接しているとは思えないほどの自然を提供しています。
小説家、芸術家などの著名人が眠る墓地がそこかしこにあり、日本文学史にその名を刻む作家たち、夏目漱石をはじめ小泉八雲、泉鏡花、永井荷風。抒情画家の竹久夢二。自由学園を創設した羽二もと子・吉一夫妻、女医第一号の荻野吟子らが眠っています。
また、災害時の広域避難場所としても指定されています。かつて霊園の外周は、中が見えないように万年塀でしたが、災害時や景観上の問題から、地域の方々の強い思いで平成12年(2000)に生垣化が実現しました。この生垣を守り育てるために周辺地域の方々により組織されたのが、未来遺産協議会メンバーの“緑のこみちの会”です。墓地の生垣の管理だけでなく、花の植え付け、清掃活動や園内のお休み処の管理も行っています。

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